はじめに







            ☆ 街道・古道などの道程の入口

            ☆ 古代史空想の入口

            ☆ 大物主神を追うの入口


 歴史学者でも歴史家でもありません。あくまで妄想による 
 記事ですのでよろしくお付き合いください^^


  ※ 神社の情報は「神奈備にようこそ」「玄松子の記録」 
    などから情報を得ています。



  《 ★★ ちょっと一言 ★★ 》
 ぼちぼちですが歩き始めました。  
 なかなか生活のリズムがつかめず、不定期となりますが  
 ブログを再開します。   
 
 
 
     




    



一言主神の逃避行(最終回)

 
              一言主神の逃避行(最終回)
 
 
さて、前回の続きであるが、目弱王(まよわ)の変とはいったいどんな政変だったのだろう。
 
それは安康天皇の御代に起こった事件である。
目弱王は、大草香皇子(おおくさか)と中蒂姫(なかし)との間に生まれた。
ある日のこと、安康天皇が弟の大泊瀬皇子(おおはつせ)と大草香皇子の妹(草香幡梭姫皇女 くさかのはたび)とを結婚させようと画策した。
快く承諾した大草香皇子は、その印として宝冠を献上する。
しかし、使者の根臣(ねのおみ)が冠をくすねてしまい、それを隠すために大草香皇子が婚姻を拒否したと嘘の報告をしたのだ。
怒った安康天皇は大草香皇子を殺すと、その妻である中蒂姫(なかし)を連れてこさせて皇后にしてしまった。
もちろん目弱王は連れ子として育てることとなったのである。 続きを読む

★☆ 高鴨神社(愛媛県西条市) ☆★

           ★☆ 高鴨神社(愛媛県西条市) ☆★
 
 
 
 
四国八十八カ所第61番札所香園寺の裏手に高鴨神社(たかかも)がある。
お遍路の難所、いわゆる「遍路ころがし」と呼ばれる第60番札所横峰寺へは、この高鴨神社の奥にある抜け道を通って香園寺奥之院道を往復するのが代表的なルートのひとつである。 続きを読む

一言主神の逃避行(その2)

 
           一言主神の逃避行(その2)
 
さて、一言主神(ひとことぬし)が大和国葛城を去った理由を探ってみよう。
そのためには、かなり古い時代まで遡って歴史的背景を知らなければならない。
 
もともと葛城地方を拠点とする豪族は、阿遅鋤高日子根神(あぢすきたかひこね)事代主命(ことしろぬし)を中心とする鴨族であった。
これらの神々は出雲の国譲り神話に出てくる神であり、先祖の須佐之男命(すさのお)は熊野国に、その息子の五十猛命(いたけるや娘達の大屋都比売(おおやつ都麻都比売(つまつ)は紀国にいると記されている。
つまり紀伊半島は、出雲の神々であふれていたのだ。 続きを読む

一言主神の逃避行(その1)

               一言主神の逃避行(その1)
 
 
 
 
啓蟄が過ぎると、眠っていたはずの旅の虫が頭をもたげてきた。
そんなことで今年も花遍路にと土佐国に出かけたときのことである。
前回の打ち止めだった第30番札所善楽寺から歩き始めた。
先ずは古の地理・地名をイメージして欲しい。 続きを読む

加茂八幡宮(高知県黒潮町)

 
        ★☆ 加茂八幡宮高知県黒潮町) ☆★
 
 
 
 
太平洋に面した入野地区では、津波や台風の被害が多い。
特に津波に関しては南海沖連動地震による津波の高さは30mを優に超えるとの予測も出ている。
1854年11月5日に襲来した安政の大津波の被害も甚大だったようで、境内右手には、「安政津波の碑」が建てられていた。 続きを読む

土佐神社(高知県高知市)

     ★☆ 土佐神社高知県高知市) ☆★  
 
土佐国一宮として土佐郡土佐神社(とさ)がある。
古くは土佐高賀茂大社、高賀茂明神(たかかも)さらに別称として「しなねさま(志奈禰様)」とも呼ばれているが、延喜式では都佐坐神社と書く。
所在は高知市街地の北東外れの一宮に位置し、古くはすぐ近くまで海が迫っていたようだ。 続きを読む