一言主神の逃避行(最終回)
一言主神の逃避行(最終回)
さて、前回の続きであるが、目弱王(まよわ)の変とはいったいどんな政変だったのだろう。
それは安康天皇の御代に起こった事件である。
目弱王は、大草香皇子(おおくさか)と中蒂姫(なかし)との間に生まれた。
ある日のこと、安康天皇が弟の大泊瀬皇子(おおはつせ)と大草香皇子の妹(草香幡梭姫皇女 くさかのはたび)とを結婚させようと画策した。
快く承諾した大草香皇子は、その印として宝冠を献上する。
しかし、使者の根臣(ねのおみ)が冠をくすねてしまい、それを隠すために大草香皇子が婚姻を拒否したと嘘の報告をしたのだ。
怒った安康天皇は大草香皇子を殺すと、その妻である中蒂姫(なかし)を連れてこさせて皇后にしてしまった。
もちろん目弱王は連れ子として育てることとなったのである。
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★☆ 高鴨神社(愛媛県西条市) ☆★
一言主神の逃避行(その2)
一言主神の逃避行(その2)
そのためには、かなり古い時代まで遡って歴史的背景を知らなければならない。
もともと葛城地方を拠点とする豪族は、阿遅鋤高日子根神(あぢすきたかひこね)や事代主命(ことしろぬし)を中心とする鴨族であった。